日本とは何か ? を日本の歴史から探る イチキシマヒメの「ニッポンって何?」歴史講座

日本史

目次

第1部 日本とは何か?

第1章 どうして「日本とは何か?」を問わなければならないのか?

第2章 空気からさぐる「日本の本質」、空気と公の関係

第3章 戦国時代の村から探る「日本の本質」

第4章 日本の歴史全体から、「日本の本質」を探ってみよう

第5章 日本的公から未来を開く、企業活動の事例

第1章 どうして「日本とは何か?」を問わなければならないのか?

この歴史講座が目指すものなんですが、表題には「ニッポンってなに?」とありますよね。この疑問を歴史からひもといて、私たちの日々の生活にいかせないかを考えてみたいんです。

日本の歴史を「ニッポンって何?」という1つの視点で見ることによって、情報の断片ではなく、牧兼充さん(早稲田大学ビジネススクール准教授)が言うところのナラティブ、意味づけられた物語とすることで、未来につながる新たな価値観の創造を試みようと思います。

「ニッポンって何?」というのは基本的には現代の問題意識ですね。現代の日本、日本人、つまり我々ですが、それは歴史の中で作り出されたものです。だから、「ニッポンって何?」という問に答えるためには、歴史の中で今の日本、日本人がどのように形成されてきたかを問う必要があり、だから「ニッポンって何?」歴史講座というタイトルになったわけです。自分で言うのも何ですが、一応、もっともらしい理屈ですよね。経営学者の名和高司さんは著書「シン日本流経営」の中で、「進化の本質は、過去から未来を紡ぎ出していくことにある。」と言っています。さらに「現在は過去と未来の結節点である。過去の延長線上に未来があるわけではないが、過去と断絶した未来もありえない。未来はひとえに、我々自身の選択にかかっている。」としています。

どうですか、この話を聞けば、当然「これは何が何でも歴史を学んで、今の自分たちを知り、未来について考えねば。」と心に誓いましたよね。

え〜、全然そんなこと感じないって!!どうしてでしょう、完璧な理屈なのに。

え、なになに、「毎日の仕事の中でいろんな問題に直面してて、まあ、その問題の経緯くらいは知る必要あるけど、日本や世界の歴史なんて全然関係ないって。」うーん、率直な意見ですね。え、まだ、あるって!

「大きな問題だと、ウクライナ戦争の解決方法なんて歴史を知ってても、誰も分かりそうもないし、だいたいあんな戦争は人類はもう卒業したと思ってたのに、なんで起こったの?歴史の知識なんて全然役に立ってないじゃない。」

いや〜、まことにもっともですね。たしかに、20世紀末頃までは、人類は歴史の階段を上りながら、いろいろ経験し、随分賢くなったとみんな感じてたのに、どうしちゃったんでしょうね。

みなさん、シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉をご存じですか。シンギュラリティとは、AI(人工知能)が自律的に自己改善を繰り返し、人間の知能を大幅に超える転換点のことだそうです。名和高司さんはこのシンギュラリティについて。「この特異点を越えると、技術の進歩が超加速度的になり、人類の文明は極端に変化する。その結果、それ以前の歴史的出来事すべてが無意味化してゼロのみえるほどになる。」としています。

しかし、特異点は人工知能の発展のなかだけにあるものではありません。例えば、宇宙論ではビッグバンが特異点とされています。それ以前の状態は意味を持たないし、知ることもできません。また、複雑系では水が氷になるような相転移が起こるのが特異点で、特異点はその構造が「破綻・転換する臨界点」だとしています。

複雑系科学の視点では、社会にも特異点が存在する可能性が論じられています。社会は環境に適応するために自ら構造を変革する「複雑適応系」であり、変化が進行する過程で、変化の程度があるレベルに達すると、それは特異点・境界線を生み出し、ダイナミックな変動が起こります。つまり、社会は変化がある一定の臨界点を超えると、既存の秩序が崩壊し、新しい秩序が自発的に形成されることがあるわけです。

現代は、多くの新しい技術がめまぐるしく生み出され、ビジネスや社会の仕組みも1年に満たない期間で急速に変化し、それに対応するだけで精一杯で、過去の歴史に目を向け、自分たちや社会のあり方を考え余裕は、全くありません。まさに、社会そのものが特異点の状態にあるといえるでしょう。

しかし、ちょっと考えてみてください。

自分たちや社会のあり方を考える間もなく、目の前の変化に対応しているだけというのは、激流に流されて溺れかかっているのと同じだと言えないでしょうか。どこに向かいたいかという自分の意志が介在する余地がなく、どこへ流されていくかという不安だけがあります。AIが進歩すれば、我々はどうなってしまうんだろうと思いながら、日々目の前の事象への対応に追われているわけですね。少し立ち止まって冷静に考えれば、AIを使ってどういう社会にするか決めるのは我々であるはずなのに。AIをマネーに置き換えても全く同じことが言えそうです。我々はどこに向かいたいのか、激流の中から岸にあがって、考えてみる必要があるのです。

そして、考える際には、我々がどのような道を歩いてここにいるのか、歴史を振り返る必要があるわけです。名和高司さんの「現在は過去と未来の結節点である。過去の延長線上に未来があるわけではない。過去と断絶した未来もありえない。未来はひとえに、我々自身の選択にかかっている。」という言葉を思い出してください。さっきよりは、胸に響いているとうれしいのですが。名和さんはそれを次のような図で表しています。

未来は現在の我々の選択で決まり、過去に束縛されるものではありません。しかし、人も社会集団も国も全て異なっています。その違いを形成している要因の一つが歴史であり、歴史を見ないと、それがどのような性格のものか分かりません。将来のビジョンを決める時に、それを考慮した方が良いのは言うまでもないでしょう。

また、歴史を振り返る時に、注意してほしいことがあるのです。19世紀から20世紀、いわゆる近代という時代に、多くの有名な哲学者や思想家、歴史家、科学者が人間とは何か、社会とはどうあるべきか考え、その成果を発表してきました。

しかし、20世紀末から21世紀のポストモダンといわれる時代には、そのような問題意識は流行らなくなってしまいました。なぜでしょう? それは近代の学者たちが既にどこかに存在している、神が定めた真理を発見しようとしていたからです。結局、万人が納得する真理を発見することはできませんでした。では、彼らの残した業績は無意味だったのでしょうか。

今の我々は既にある真理を見つけるのではなく、人間とは何か、社会とは何か、ではなく、我々がどのような存在になりたいか、どのような社会を作りたいかを問おうとしているのです。そう考えると、19〜20世紀の学者たちの結論は、我々にとっての選択肢、あるいは考える際の材料となるはずです。何もないところから考えるよりはるかに豊かな考察と議論ができるはずです。文字通り、過去から未来を紡ぎ出すのです。

ウクライナ戦争のような過去の亡霊に見える事件は、「我々がどのような存在になりたいか、どのような社会を作りたいか」を考えることをおこたり、自分の世界にこもって流され続けた結果、起こったと言えるでしょう。「我々がどのような存在になりたいか、どのような社会を作りたいか」という思い、価値観が人々に共有されると、人と社会が思わぬところへ流されるのを防ぐと共に、さらにそれがシールドとなって過去の亡霊達が社会の表舞台に出ることを防ぎます。具体的には、世論の形成や選挙などの形をとってですが。例えば、新自由主義という、規制を全て取り払って競争という激流に流されていったために、社会に大きなひずみをつくりました。そして、ソ連という社会主義から資本主義の世界に身を投じたロシアに適切な保護を加えなかったため、冷戦時代の遺物だったはずの西側諸国、東側諸国という対立が再燃してしまったのです。

ということで、皆さん、歴史を通じて未来を考えてみましょう。その第一歩は、今の我々、つまり日本、日本人がどういう存在か、歴史を通して考えなければならないんです。

そして、そのために1つに視点が「ニッポンって何?」という問題意識になるわけです。皆さんは『自分て何?』と考えたことはありませんか。つまり、自分はどんな人間なんだろうという問ですが、なぜ、そんなことを考える必要があるのでしょう。別に考えなくても生きていけるような気もしますね。でも、もし、自分が何か目標を持って、それを実現しようとしているなら、その問題を考えてみた方が良いと思います。

なぜなら、どのような道筋をたどって目標に到達するか決めるには、自分の行動原理が必要なのです。

この図は、社会と自分の関係を模式的に表現したものです。

「自分の夢」と「現実の社会」が重なり合う領域が、「自分の決めた行動原理によって行われる具体的な努力」です。

さらに、「自分の夢」と「皆が目指す社会像」が重なり合う領域が「自分の夢が社会に貢献できる部分」、「現実の社会」と「皆が目指す社会像」の重なり合う領域が未来を形作ろうとして実際に行われる政策やプロジェクトになります。そして、真ん中の3つ全てが重なる領域が、努力によって実現可能で、社会貢献も可能な自分自身の夢ということになります。そして、そこは自分がどういう存在かわかる自分の居場所でもあるでしょう。

自分の行動原理は自分と社会との相互作用の中から生まれるものです。それを決めるには、社会と自分がどういう存在か、そしてどう関係しているか分かっている必要があります。行動原理を自分で、意識できていれば、壁にぶつかった時に、どう修正するかを考えることができますし、障害となるような人物と出会った時も感情的にならず冷静に判断する材料になると思いませんか。つまり、自分のガバナンスが確立できるわけですし、そうなればリスクも軽減できます。で、その自分は孤立して存在しているのではなく、社会という関係の網の目の中に浮いていて、そこから大きな影響を受けているわけです。その網の目がどういうものか知って初めて、自分の認識に進めるのです。絵は、背景と対象からなっていて、背景が違えば全く異なった印象になりますよね。背景のない絵は存在しません。背景と対象の両方があって、初めて一枚の絵になるわけです。

また、社会にとってより良い生き方は、社会がどのようなものか分かって初めて考えることができます。それは社会の目標と自分の目標が重なる部分でもあります。さらに社会とは?と問う時、それは目の前の現実と、社会が目指そうとしている姿の両方が必要とされてきます。そして、過去のベクトルを知ることで、現在地が分かり、未来のベクトルを定めることができます。日本とは何か?という問いは、過去のベクトル、現在の状態、目指そうとする未来のベクトルの3つを理解することで分かってきます。しかし、答えは常に変化し、固定した正解はないでしょう。

この講座では、過去のベクトルの描写に重点を置きながら、現在の状況と未来のベクトルについても考えていこうと思っています。

第2章 空気からさぐる「日本の本質」、空気と公の関係

ニッポンってなに と問われたとき、皆さんはどんな言葉を思い浮かべますか。例えば、「空気を読め」とか あの人は、「空気を読めない」といった言葉は、日本独特のものですよね。ほかには、「横並び主義」とか「出る杭は打たれる」などがありますよね。最近では、「同調圧力」という言葉がメディアで取り上げられたのは記憶に新しいです。あまり良いイメージの言葉は思い浮かびませんね。「ニッポンってなに?」という議論を始めると、たいていネガティブな方向へ話が行ってしまうと思いませんか。でも、これらの特徴は本当にネガティブなことなのでしょうか。歴史を詳しくひもといてみると、思わぬ姿が見えてくるんです。今あげた「空気を読め」「あの人は空気を読めない」「横並び主義」「出る杭は打たれる」「同調圧力」といった言葉は、実は日本独特の「公(おおやけ)」と深く関係していることが、歴史をひもとくことから見えてきます。公というのは一つの価値観でもあるのですが、大雑把に言うと、自分自身よりもみんなを優先する価値観ということになるでしょうか。こんなことを言うと、滅私奉公のような言葉が浮かび、過去の遺物というイメージを持つ方もいるかもしれませんが、実は近年になって、企業理念として見直され始めているのです。

坂本光司さんの『日本で一番大切にしたい会社』あさ出版に紹介されている長野県の伊那食品工業の塚越寛最高顧問は「私は会社の役目とは、人々を幸福にすることだと考えています。それはきれいごとや建前ではありません。なぜなら、人々の幸せを追求するいい会社には、必ず経営にプラスの影響があるからです。」と述べています。

この考え方を少し視点の角度を変えてみると、ハーバード・ビジネススクールのマイケル・ポーター教授の提唱する経営理念、CSV(Creating Shared Value)と通じてきます。また、最近はパーパス経営という言葉もよく聞きます。企業の理念、目標であるパーパスは社会的価値を増大させる、つまりCSVに通じるものを掲げる例が多いようです。そして、企業のパーパス実現のためには、社員がそれを「自分ごと」化することが重要なのですが、この「自分ごと」化は公の本質の1つです。

これは、社会的価値のある問題意識を共有するということです。後で述べますが、日本の歴史の中に見える公も、問題意識の共有から生まれているのです。そして、問題意識の共有、つまり公を共有した人間同士の関係は良い関係となることが多いと思いますが、その良い関係の在り方を抽象的に抽出したのが「倫理」ということになると思いませんか。そして、名和高司さんはこれからの企業経営の在り方として倫理にもとづいた経営、エシックス経営を提唱しています。また、マルクス・ガブリエルの「倫理資本主義」も話題になっていますね。日本の倫理学の原点というと、和辻哲郎ですが、彼は「人間」の「間」は「世間」の「間」と同じで、間柄という関係性の在り方を示すと考えたようです。そして、人間は世間との関係性の中で生き、生かされているとして、人間関係の重要さを訴えています。倫理とは人の生きる場を安定させ、現状維持志向では無く、さらに良いものへと発展させていく行動原理とも言えるでしょう。人間関係は、自分を捨てて相手のことだけを考えるのも、反対に自分のことしか考えないのも、ひずんだ関係と言えます。両者がある価値を共有する、つまり二人の間に公を創造できれば、それは無理のない関係と言えるのではないでしょうか。そして、本当の公とは価値や問題意識の共有ですから、その関係をさらに良いものへと発展させ、新たな何かを生み出していくべきものであるわけです。

また、松下幸之助さんは企業経営の原則を「企業は社会の公器」としていました。ピーター・ドラッカーは「企業の本質は社会に貢献することである。」とし、さらに「自らの組織に特有の使命をはたすことが大事」と述べて、公の本質は必ずしも「滅私」ではなく、個性を生かして社会貢献することが重要であることを示唆しています。

公とは、パーパスとプリンシプルが複数の人や企業に共有される状態とも言えます。その共有によって、複数の人々がまとまって一方向に動くことができます。一般には多くの場合、不祥事や失敗があると、再発防止のためにルールとマニュアルの整備の必要性が声高に叫ばれますが、想定外のことが起きるのが現実であり、全てをカバーするルールとマニュアルを作るのは不可能です。そして、精緻なマニュアルとたくさんのルールは組織の動きを硬直化し、スピード感を失わせます。しかし、パーパスとプリンシプルが十分共有されていれば、想定外のことが起きても組織は柔軟・適切に動くことができます。

さて、公という概念をもう少し検討してみましょう。

公を含む言葉というと何が思い浮かびますか?公共交通機関、公園、公道、公共政策、公論とかでしょうか。

この言葉を見て、皆さんはどう思われましたか。なんか、堅苦しいと感じませんか。それには理由があって、ここで出てくる公は、私(わたくし)と対立する意味を持ってるんですね。プライベートの時間はリラックスできますよね。それと対立するんですから、堅苦しく感じるのも当然なのです。このわたくしと対立するおおやけというのは、実は西欧起源のものなのです。

図1を見てください。人々の共通の利害の部分が公となっていて、プライベートと公は、はっきり区別されてるんです。じゃあ、日本の公はどういうものかというと、人が生きる場そのものという図2のようなイメージになります。

プライベートが無いというわけではありませんが、図のようにおおやけの上にわたくしがのっている感じですね。研究者の中には、日本の公はわたくしを包摂するなんて言い方をする人もいます。生きる場そのものなので、それを乱そうとするものを排除する性格があります。横並び主義、とか、出る杭は打たれる、とかは、実はここから来てるんですね。どうしてこんな大きな違いができたんでしょう。それを知るには、公(おおやけ)が形成されてきた歴史を見てみる必要があります。公(おおやけ)というのは、中世という時代の中から、自主独立の精神とセットになって生まれたんです。中世というのは強力な中央政府が存在しない時代で、人々は自分で情報を集め、判断し、決断しなければならなかったので、自主独立の精神を身につけざるを得ませんでした。しかし、それだけでは、なんせ、まともな中央政府が無いんですから、人々は好き勝手に行動して無秩序な社会となってしまい、かえって、生きづらくなってしまいますよね。そこで、人々は村というレベルで、公(おおやけ)を形成して、権力者に頼らず自分たちで秩序を作り出したわけです。

良く考えるとなかなかすごいことですよね。どうして、そんなことができたんでしょうか。古代から江戸時代まで、日本社会の基礎は村落共同体ですが、古代の史料をみると、村落の秩序形成のかなめは、神社だったことを示す史料があるのです。

吉村武彦さんの初期荘園の研究(吉村武彦「初期庄園における労働力編成について−東大寺領越中・越前庄園−」『原始古代社会研究』1原始古代研究会編 校倉書房)によれば、絵図などの史料で荘園内、または近隣に神社のある荘園は比較的永続し、無い荘園は短命に終わっていて、神社の記載は在地共同体との連携により荘園経営が行われていることを示していて、比較的永続しているが、神社が関わらない荘園は領主と在地共同体との関係が薄く短命に終わっているとしています。この研究から、間接的にではありますが、農村共同体と神社が深く関わっていることが推測できるわけです。

自主独立の精神と公(おおやけ)の精神は、近代精神の核となるものですが、それは近代の前の中世に生み出されたわけです。ちなみに、中世という時代が数百年とか千年といったまとまった期間で存在しているのは、西欧と日本だけです。ここでいう中世は、真ん中の時代という意味では無く、強力な中央政府が無かったという点に重点を置いた言葉として使ってます。では、どうして西欧と日本とでは、公にあのような大きな違いが生まれたのでしょうか。その理由は、西欧の公は都市から生まれたのに対し、日本の公は農村から生まれたからです。

西欧の中世は、強い王権はまだ生まれておらず、諸侯や都市が勢力を争っていました。西欧中世では、農村が領主と農民が封建的な社会を構成していたのに対して、都市では、「都市の空気は自由にする」という言葉があったくらい、貴族や騎士、聖職者、商人、職人、乞食などあらゆる身分の人が集まって、躍動するカオスのような社会でした。ここでの乞食は、一種の何でも屋さんで物乞いではなかったようです。都市の人口の20パーセントをしめていたという記録もあるようです。しかし、他の都市や諸侯と争って、生き残るためには、この雑多な人々が力を合わせるしかありませんでした。価値観も生活習慣も異なる人々が、利害の共通する部分を見つけて、必要に応じて団結するわけです。このような状況から、西欧的な公は生まれたわけです。一方、日本の中世は強い中央政府が無かったのは同じで、西欧の諸侯に似た武士団もありましたが、民衆の多くは村によって組織され、村が人々が生き残るために基礎的な組織だったわけです。村を構成するのは西欧の都市とは違って、100パーセント農民でした。価値観も生活習慣も同質な人々が団結したわけですから、多くの点で暗黙の了解が成立し、そこから「空気を読む」というような感性も生まれてきたわけですね。縄文時代から江戸時代まで、大半の日本人は村で生きてきたわけで、自分の村を離れて生きていくことはできなかったんです。自分の村が滅びてしまったら、生きていく場もなくなるわけです。中世の村を「生命維持装置」と表現した中世村落の研究者もいるくらいです。だから、「村=公=生きていく場」ということで、さきほどの図のようになるわけです。自分が生きていくためには、生きる場である「村=公」を守らなければならず、それが全てに優先するわけです。そこから滅私奉公という言葉も出てきたわけで、そして1945年の敗戦で社会のおもて舞台から消えていったわけですが、しかし、今でも日本人の感性の中に強く残っているわけです。

無くなって良かったんじゃないかと思う人も多いかもしれません。

そう思うのも無理ないですけど、決めつけるのはちょっと待っていただきたいです。

でも、ここまでは抽象的な話ばかりで、具体的なイメージが持てないと思いますので、それを感じていただくために、戦国時代のある村に、お連れしようと思います。

第3章 戦国時代の村から探る「日本の本質」

時は、1501年、応仁の乱が終わって20年余り、戦国時代に入ろうとする頃でした。

前関白九条政基はやらかしてしまい、都に居づらくなって、領地である、和泉国日根野庄に移り住むことになりました。今の大阪府泉佐野市ですね。

彼は4年間滞在しましたが、旅引付、という詳しい日記を残したので、当時の村の様子が良く分かります。

九条政基は、あの藤原道長の子孫で、藤原氏は近衛家と九条家に分裂していたのです。

 当時の政基は、50代後半でした。村人は、前関白という雲の上の人がやってくると聞き恐れおののきますが、やってきたのは僅かな供を連れただけで、村人が面倒をみないと三日と生きていけない無力な老人でした。

 しかし、村人は政基を寺に住まわせて、衣食住の面倒を見た上で、この無力な老人に年貢を納め続けます。

 この当時は、年貢は村請(むらうけ)と言って、村が責任をもって定められた年貢を納める仕組みが多くなっており、領主は村の内部のことには関わらないのが普通でした。とは言うものの、全く無力な領主様の姿を目の当たりにして、なお律儀に年貢を納め続けるのは不思議ですよね。それは、年貢の納入が起請契約(きしょうけいやく)にもとづいていたからなんです。起請契約とは、平たく言うと、氏神様に誓ったと言うことです。これは当時かなり一般的で、神への畏敬が、ほとんど無政府状態に近かった中世から戦国の日本に不思議な秩序をもたらしたのです。

そして、九条政基在庄中に大事件が起こりました。

実は戦国時代、日根野庄がある泉南地方は2大勢力の主戦場でした。大名をしのぐ勢力の根来寺と、和泉の守護大名である細川氏です。

1502年、守護方だった佐藤惣兵衛は根来寺側に寝返り、泉南地方に侵入し、日根野庄の入山田村村に乱入、陣を張ろうとしたのです。

日根野庄の人々は困ってしまいました。なぜなら、佐藤惣兵衛を実力で追い出せば、商業流通で結ばれている根来に出入りできなくなり、放置すれば、守護の細川氏に敵対したことになるからです。

そこで、入山田村村の村民は根来寺の最高意思決定機関である惣分に、このままでは佐藤惣兵衛軍に実力行使せざるを得ない、と申し入れ、佐藤惣兵衛軍には彼らが陣所としている村を焼き払って戦う、と通告しました。佐藤惣兵衛軍は一旦撤退したのですが、軍勢を整えて再び侵入してきました。

武士でもないお百姓さんたちが戦うのかという疑問を持つ方も当然、いらっしゃると思います。

古代ギリシアにポリスと名付けられた都市国家がありましたが、そこには戦いを専門とする兵隊さんはいませんでした。いざという時には、一般市民が武器をとって街を守るために戦ったのですが、市民兵と呼ばれていました。有名なローマ帝国も共和国時代は市民兵だったのです。中世の日本の村も、それとほぼ同じだったのです。村の意思決定も古代ギリシアの民会のように、村人の寄り合いで決まりました。そこでは、貧富の差や家柄に関わりなく、すべての家が一票を行使したようです。戦国時代のある村では、村としての決定を下すために、三日三晩不眠不休で議論したという記録もあります。入山田村の人たちも寄り合いを開いて、相談したことでしょう。その結果、次のような対応をとりました。入山田村の番頭たちは、まず根来寺と交渉し、佐藤惣兵衛軍が村に侵入、乱暴狼藉を働いた場合、入山田村が成敗して良いという一札をもらうことにしました。交渉は難航しましたが、周到な根回しと多額のワイロを使って、ついにその旨を記した制札をえることができました。

戦える村人全てが出陣し、その制札を佐藤惣兵衛軍に示して圧力をかけたところ、佐藤惣兵衛軍は撤退し、村は危機を脱したのです。

でもおかしいと思いませんか。乱暴狼藉を働いたら入山田村が成敗して良いと言う許可を、敵である根来寺に求めるなんて。この時代は、完全自力救済の時代で、自分のことは自分の力で守るしかなかったのですが、自分達の行為の正当性についてものすごくこだわったのです。さきほど、無力な九条政基に年貢を納め続けたのは起請契約で、神様に誓ったからだという話をしましたが、神仏への強い畏敬が存在したことと関係したのかもしれません。神様に「なんでお前たち、そんなことをしたんだ。」と言われた時に言い訳ができるようになんて考えてたんでしょうか。

この時代、村と村、村と武士、村と領主などあらゆるところで紛争が起きていましたが、武力行使と同時に裁判などを通じて自分達の行為の正当性を確立することは必ず行われました。

この時代の裁判は大変で、もとになる法律としては有名な御成敗式目や幕府が場当たり的にだした多くの命令、もうほこりに埋もれたしまった律令も完全に無効というわけではありませんでした。その中から、自分達の正当性につながるものを探し出してきて、その実在を証明しなければなりませんでした。しかし、それらをまとめて参照できる場所はどこにもありません。また、先例というのも法律と同じくらい重要視されたので、それらを探すことも重要でした。原告も被告も自分達が正しいと言える法律というんでしょうか、根拠を探し出してきて争うのです。訴えた場合は、村人自身が検察官となり、訴えられた場合は自らが弁護士となる必要がありました。当時の村のお百姓さんはこのような難題に取り組んで村を守ったのです。彼らをサポートしたのが、村一番の知識人である寺のお坊さんでした。有能な僧侶は村の大きな武器となりました。この当時、村同士が一種の軍事同盟を結ぶことも多かったのですが、同盟した村が出陣してくれるかどうかは、自分達の正当性にかかることも多かったようです。

この入山田村の紛争の時は、近所の寺の住職の中に根来寺の指導者の一人と人脈がある人を見つけ、そこから交渉の糸口をつかんだようです。もちろん、その住職にも根来寺の指導者にも、こちらのために動いてもらうためには莫大な手数料が必要で、そのような経済力をもっていることも村の存続の必須条件でした。

そうして、制札をもらったわけですが、佐藤惣兵衛軍が制札を見て引き上げてくれるかと言うと、もちろんそんなことはなく、彼らを撤退させるのは自分達の軍事力なのです。

このような厳しい状況の中で、村が生き残るためには、村人全員が自分の利害をかたわらに置いて、全身全霊、村のために働かないとだめなわけで、それが当時の村の公だったわけです。

訴訟では貴族や武士と論争しなければならないのですから、農民といえども高い教養が必要でした。入山田村の、滝の宮という神社の祭りでは猿楽や田楽、風流念仏などが行われましたが、九条政基は都の専門家がやるものにも負けない素晴らしいものだったと激賞していて、村の文化レベルは非常に高いものだったようです。

この当時の村は、領主に契約に基づいた年貢を納める以外は、外交、軍事、経済力、内政については完全に自立していて、実質的に独立国でした。このような村を歴史学では、「惣村(そうそん)」と呼びます。この惣という言葉は、「すべて」の意味で、その地域に居住して自立した生計をいとなむ住人すべてが参加した集団をさします。

村では選ばれた代表者が皆をまとめますが、重要なことは寄合で、多数決で決めたようです。このような村が戦国時代には全国で何千とあり、日本人の精神形成に大きな影響を与えました。

村人は自分の利害より、村の存続を優先し、そのために自分のできる最大限のことをしました。そうしなければ、村が生き残ることができないからです。

言葉を換えると村人が一つの「公」を共有したと言えるでしょう。

 以上で入山田村のお話は終わりですが、村の公について、実感していただけたでしょうか。

第4章 日本の歴史全体から、「日本の本質」を探ってみよう

ここまで、戦国時代の和泉の国日根野庄入山田村に皆さんをお連れしましたが、日本の村の公について実感していただけたでしょうか。

このような村が、日本では縄文時代から江戸時代まで、人々のまわりに存在し続け、日本的な公を心に刻み込んだのです。

この村の公は、時に結合して日本全体にまで広がることがありました。

それが古墳時代と幕末・明治維新です。

古墳時代は、「朝鮮半島から鉄を獲得する」ため、幕末・明治維新は「欧米列強から日本の独立を守るためという問題意識の共有が、公を結合させたのです。

古墳時代というのは3世紀後半から6世紀にかけて、東北南部から九州にかけて数万基の古墳が造られた時代です。簡単に言うと、前方後円墳という同じ形の墓を造り、同じ祖先祭祀を共有することで、一つにまとまったわけです。

ここで、ちょっと不思議なのは国が統一されたから墓の形も統一されたのではなく、墓の形を統一することで、一つの国になったというところです。現代人には、感覚的に理解できないところですよね。

ずっと、時代が遡りますが、この図は縄文時代の村を発掘したときの図面です。

ドーナツ型に遺構がめぐっていますが、真ん中の丸いのは全て墓です。なぜ、村の真ん中の広場にたくさんの墓を造ったのでしょうか。縄文時代の村には、1〜2軒から始まって徐々に大きくなった村もありますが、いくつかのグループが相談して大きな村を結成した場合も結構多いのです。今まで赤の他人だったグループの人たちがどうやって結びついたかというと、自分たちの祖先を村の中央の墓に共同で祀ることで、一つに結びついたのです。そうして、祖先たちの魂、霊威を受け継げば、一族となるわけです。そのような伝統が何千年と続いていたので、前方後円墳祭祀という一つの祭祀を共有すれば、一族となるという考え方を自然に受け入れたのでしょう。このような仕組みを文化人類学では、擬制的血縁関係といいます。現代人は生物学という科学にある意味毒されてしまっているので、この感覚は理解できないですが。

ところで、古墳時代というと、仁徳天皇陵とされる大山古墳に代表される巨大な前方後円墳を、思い浮かべると思います。あのような巨大古墳を造ったのは強大な力を持った権力者が頭に浮かび、小さな村レベルの公が結合したとは想像できないかもしれません。古墳時代の社会が具体的にどのようなものだったか考古学的に知ることはなかなか難しいのですが、古墳時代の直後の7世紀になると、文献資料が利用できるようになります、7世紀はまだ、律令による社会改変がそれほど進んでおらず、古墳時代の様子を色濃くとどめていたと考えられますが、面白い史料があります。

蘇我の入鹿を討って大化の改新を始めた中大兄皇子(天智天皇)の時代ですが、天智三年(664年)二月、政府が氏(うじ)、つまり地方の豪族ですが、これを大氏(おおうじ)、小氏(こうじ)、伴造(とものみやつこ)にランクづけし、それぞれの氏上に大刀などを与えました。つまり、各氏族の氏上を通して地方を統治しようとしたのです。

ところがです、それからしばらくたった天武十年(681年)、天智天皇の弟の天武天皇の時代ですが、政府は氏上の定まっていない氏に、氏上を定めて申告するよう命じているんです。

もし、古墳時代に豪族の首長が強大な権力を持つようになっていたなら、氏上がわからないというようなことにはならないと思います。例えば、戦国時代、甲斐の国の最大の権力者は武田信玄だし、越後の国は上杉謙信で、そんなことは誰でも知っていることです。織田信長が甲斐の国におたくの国で一番強いの誰ですかなんて聞くわけありません。でもこの7世紀に、それを聞いてるわけです。さらに、聞いたら、そんな奴はいないという答えだったので、だったら相談して決めろと言ったわけです。

 また、井上光貞さんという戦後の日本を代表する古代史の研究者が、賀茂県主(かものあがたぬし)の研究をされていますが、そこから面白いことがわかります。京都に上賀茂神社と下賀茂神社という有名な神社がありますが、その神職は代々、賀茂一族がつとめています。その賀茂一族の系図は7世紀までさかのぼれるのです。

この図を眺めてみてください。7世紀から8世紀頃、賀茂神社の禰宜は賀茂一族の族長がつとめていました。赤で囲った人物が、禰宜、つまり族長をつとめた人物ですが、系図の中で面白いほどあちこちに飛んでいますね。数十年にわたって系図の外に飛んでいたこともあります。賀茂一族は県主なので、国造に次ぐくらいの有力豪族なのですが、その首長の地位が驚くほど流動的だったのです。つまり、族長は毎回、賀茂一族の合議によって選ばれていたとしか考えられないわけです。

この点から考えても、巨大前方後円墳は権力者が強権をふりかざして、造った物ではない。むしろ、人々が合議して、合意の上で、特定の人物を選び、彼に権力をゆだねるために造ったと考えられるわけです。古墳の大きさはどれだけ多くの人が彼を支持したかのバロメーターということです。巨大古墳をつくるという作業を通して、雑多な人々を組織することもできます。

 群馬県の古墳時代の研究者である若狭徹さんが面白いことをおっしゃっています。古墳の葺き石が大きさも、並び方も不揃いで雑だと言うんですね。それがこの写真です。とても権力者に監視されて造ったようには見えない、雑談でもしながらのんびりやってたんじゃないかと言うのです。

また、古代史の高名な研究者だった石母田正さんは、一般には共同体の共同性は民会によって代表されるが、日本古代の共同体の共同性は首長によって代表されると書いています。

 古墳というと、お墓というイメージでそれは別に間違ってはいないんですが、現代人にとってのお墓とはかなり違う性格を持っていたようです。考古学では、古墳での葬送儀礼で、先代首長の魂、霊威を継承すると言われています。しかし、文献史学では少し違っていて、古墳での儀礼で継承するのは先代首長ではなく、創始祖先神の魂、霊威を継承すると考えられているようです。そういう趣旨のことが、続日本紀に書かれています。

2017年、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群がユネスコ世界遺産委員会において世界遺産に認定されましたが、九州のはるか沖にあるその沖ノ島では4世紀から9世紀にかけて、国家的規模の祭祀がおこなわれ、調査で見つかった8万点の遺物は全て国宝となっています。

ここで、大事なのはそれらの遺物の品揃えが古墳の副葬品と同じだということです。お墓の副葬品と神様への供え物が同じだというのは奇妙だと思いませんか。でも、古墳の儀礼で継承するのは先代首長の魂、霊威ではなく、創始祖先神の魂、霊威だとすれば、古墳の副葬品と神様への供え物が同じでもおかしくないわけです。例えば、天皇が儀礼で継承するのは、先代の天皇の魂、霊威ではなく、天照大神の魂、霊威というわけです。天皇家は万世一系かどうかという議論がありますが、儀礼によって皇祖神の魂、霊威を受け継ぐのは常に一人だったわけで、つまり万世一系であり、生物学的なつながりがあるかどうかは少なくとも当時の人には関係なかったと思います。家族とか一族を生物学的に解釈しようとする限り、古代人の思いは理解できないでしょう。

最大の古墳である仁徳天皇陵とされる大山古墳が造られたのは古墳時代の編年で言う中期の7期ですが、その後、巨大前方後円墳の築造は衰退し、後期の9期、10期には大きさもすっかり小さくなり、数も大きく減ってしまいます。

この時代の文献からわかる動きがどうかと言うと、大王が首長たちの合意によって選ばれるのではなく、大王位をめぐる激烈な権力闘争が始まっていて、有名な雄略天皇はライバルを何人も殺害して即位しています。雄略天皇は古代、最も独裁的な権力をもった大王ですが、彼の古墳はどれかはっきりせず、候補とされる古墳も大型古墳ではありますが、大山古墳とは比べるべくもありません。この点から考えても、巨大古墳は人々の合意の大きさを示し、村の小さな公の結集したものと言えないでしょうか。

で、そうして何をしたかということですが、日本で製鉄ができるようになったのは5世紀末か6世紀以降と考えられます。そして、4世紀から5世紀の日本は大開拓時代で多量の鉄の道具が必要だったのですが、それをどうしたかというと、当時、製品としての鉄を大量に生産できたのは朝鮮半島南部先端付近の伽耶とか加羅とか言われた地方です。倭、当時の日本ですが、倭と特に密接な交流があったのは伽耶諸国の中の金官国という国で、古墳時代の初めの頃は資源や技術の大半を金官国を通して得ていたのです。下の図は左が朝鮮半島の鉄鉱山の分布です。随分たくさんありますね。当時の朝鮮半島では鉄鉱石から鉄が生産されていましたが、日本列島での鉄鉱石の産出は僅かで、後に国内での製鉄の主流となったたたら製鉄は砂鉄を原料としていました。そのため、朝鮮半島の製鉄技術を日本に導入することは簡単でなかったのです。その結果、国土の開拓と国の発展の必需品である鉄を何百年も朝鮮半島に頼ることになったです。

右の図は、朝鮮半島での製鉄遺跡と鉄梃出土遺跡です。鉄梃とは、製品化された鉄の板で、鉄は倭にこの鉄梃の形で輸入されました。その頃朝鮮半島南部には金官国を初めとする小国が乱立していて、そこを高句麗や、新羅、百済といった大国がねらい、慢性的な戦乱が続いていました。そこに倭国は軍事的にコミット、つまり要請に応じて兵力を提供し、見返りに鉄製品を得ていた可能性があるのです。そういうことなので、倭国は一つにまとまっていた方が大きな軍事力になり、立場も有利になるというわけです。小勢力、小グループでは安く買いたたかれる上に、倭人同士の同士討ちをさせられかねません。そこで、人々は合議と合意により一つの国をつくったわけです。

この図は筒型銅器と巴型銅器という倭製の儀式用具の分布図ですが、金官国付近にも多数分布していて、金官国と倭の関係の深さが分かりますね。

筒型銅器と巴型銅器はこの図のような物で、これらは朝鮮半島南部の大成洞古墳群から出土した物です。

これは推測ですが、6世紀になると鉄製品が自給できるようになり、朝鮮半島まで無理して行く必要も倭国がまとまっている必要性も無くなってきたので、大王位は力で争われるようになったのかもしれません。

ちょっと古墳時代に話が片寄ってしまいましたが、歴史的に見ると、日本の公は問題意識の共有によって大きく成長したことがわかります。

原理的に言うと、2人以上の人がいて、問題意識が共有され、共感が生まれれば、そこに「人が生きる場としての公」が創造されることになります。これが西洋的な「わたくしと対立する公」では利害の共通する部分に限られるので、生きる場という意味でのトータルな公にはつながらないことが多いのです。「わたくしを包摂する公」が身にしみついている日本人の場合には、共感が生まれ、人の生きる場へと高められ、より大きく密接なつながりに発展する可能性が出てくるのです。

身近なところで考えてみますと、職場で小さいお子さんを保育園にあずけている女性が、「お迎えの時間なので、すいませんが帰らせてください。」という場面があるとします。その時の反応は2つに分かれますよね。一つは、「同じ給料もらっているのになんで帰るんだ」という反応、もう一つは「それは大変ですね。どうぞ帰ってください。」という反応です。後者の場合、二人の間で問題意識が共有され、小さいながらも生きる場としての公が生まれたことになるわけです。

西洋的な「わたくしと対立する公」の場合、問題意識の共有がされても、生きる場の共有まではいかないことが多いのですが、日本的な「わたくしを包摂する公」の感性があれば、より強い共感が生まれ、生きる場の共有につながることが多いと思います。と言っても、あまり実感できないかもしれませんが、数年前の野球のWBCを思い出してみてください。日本の観客の相手チームへのリスペクトが海外メディアでも取り上げられて賞賛されました。あれはきっかけとしては大谷選手の相手へのリスペクトがあって、それに感化された日本の観客がああいう反応をしたのですが、あれは日本的な「わたくしを包摂する公」がもたらした感性があったからだと思うのですが、いかがでしょうか。

大谷選手の行為や姿勢を見た日本人は自分の心の中にも同じものがあることに気づき、そして周囲の人間もそれをもっていることに気づいた結果、問題意識の共有が起こり、一種の公が形成されたわけです。このようなプロセスは、利害の共通する部分のみの公がもたらす感性からは生まれにくく、日本的なトータルな公が持つ感性の方が生まれやすいのではないでしょうか。

表面的に見ると、周りに合わせてるだけという良く日本人にありがちな反応に見えますが、じつはこれは大きな長所ともなるわけです。

もちろん長所とするためには、それについてじゅうぶん自覚している必要があるわけですが。

ところで、生きる場としてのトータルな公が創造される条件とはなんでしょうか。

問題意識の共有は、まず必要ですね。

次は適切なリーダーシップでしょうか。大谷選手の例から考えてみると、大谷選手というリーダーがいたからこそ、人々の問題意識が自覚され結びついて一つの大きな動きが生まれたのですから、適切なリーダーシップの存在というのはかなり重要そうですね。優れたリーダーは異なった問題意識を結びつけて、さらに大きな公を創造することもできそうな気がします。

古墳時代には、中央の大和政権を介さない地方同士の物や情報の活発な動きがありました。幕末・明治維新には、蘭学塾などに各藩の若手藩士が集まり、情報を交換したことが明治維新につながったことはよく知られています。

そこから、組織を超えて情報を交換するリーダーのネットワークが必要ということも言えそうです。

また、日本的公を基調として動く組織において、最も避けなければならないのは、閉鎖性です。戦前の日本が国を滅ぼす戦争に突き進んだ原因が、この閉鎖性です。最後、軍部によって日本は指導されることになりましたが、この時の軍部の指導者と幕末の指導者たちとの最大の違いは、異分野の人たちとの交流の有無でした。幕末の指導者たちは、中下級武士が中心でしたが、彼らは商人や学者、農村の指導者から支援を受け、また、幅広く意見を交換していました。それに反して、軍部の指導者は異分野との交流のない、閉じた公を形成しました。日本的公が閉じた世界となると、そこは空気が支配する世界となります。前に、空気を読むという習慣に触れたことがありますが、日本的公は、農村という等質な世界で生まれ、育ったので、言語に頼らず察するという文化が基本にあり、異なった意見が入らなくなると空気が支配する世界となってしまう危険があるのです。アメリカとの開戦を決めた会議では、「ここでやめたら、国民が黙っていないだろう。」という意見はかなり強かったそうです。指導者もまた、空気に支配されていたようです。空気に支配されると、異論を唱えることは難しくなります。従って、日本で公を形成する際には、異分野、異業種など異なった世界との活発な交流は絶対に必要なのです。

 今回は歴史の中に見える日本的公について、いろいろ考えてみました。しかし、このような知見は私たちの未来を開くのに、役に立つのでしょうか。

 次は、いろいろな企業活動を取り上げて、日本的公が未来を開く可能性を考えてみたいと思います。

第5章 日本的公から未来を開く、企業活動の事例

ここまでは歴史の中の日本的公についてお話ししました。今回は、現在から未来に向けて、それをどう生かすかということを考えてみたいと思います。

基本的には問題意識を持ち、それを共有することが、公の創造の第一歩ですが、その問題の解決に向けて具体的に動けば、必然的に他者とのつながりが生まれ、公もまた生まれるのではないでしょうか。これは、具体的に解決に動くことが大切で、学問的な問題を研究しているだけでは、つながりは生まれてこないと思います。つながり、つまりネットワークをどのようにして生み出すかが有意義な公の創造にとって重要だとおもうのですが、いかがでしょうか。ただ、そこで生まれるつながりが、自分と同じ考え、経験をもつものの範囲にとどまってしまうと、閉じた公となって、戦前の日本と同じ過ちをおかす可能性があるわけです。日本的公を未来に生かすためには、開かれた公の創造がかぎとなるのです。

企業内でも縦割りではなく、部署を横断した若手リーダーのネットワークがあれば、企業が一つの開かれた公を形成する可能性が強まるでしょう。最近では異なる部署の人間が交流できるカフェのような場所を設置したり、気軽に投稿できるSNSのようなアプリを導入して違う部署の人のアドバイスを簡単に受けられるようにしたり、あるいはなんとか良い点を見つけて褒めようということをしているところもあるようです。

面白い例としては、週に1回全社員が集まった中で、自分の成功体験を話すという機会を作っているスタートアップ企業もあります。問題意識の共有というと、なにか自分のうまくいっていないことを話さなければならず、それには抵抗もあると思いますが、成功体験を話しても、じゅうぶん問題意識を共有でき、心理的抵抗も少ないということでしょう。雰囲気も盛り上がります。他の人に問題意識を共有してもらうことは、いわゆる心理的安全性につながり、心理的安全性が高まれば、そこで生まれる公が人が生きる場へと高められていくのだと思います。

「アルムナイ」という言葉をごぞんじでしょうか。卒業生という意味だそうですが、退職して別企業に転職した人をアルムナイ、卒業生として捉え、退職したら関係ないというのではなく、卒業生として交流することで異分野、異業種の視点に接して活性化しようとする発想です。前職の企業とアルムナイ、あるいはアルムナイ同士の交流ネットワークをつくろうという試みがあります。

このような動きが広がれば、その企業だけでなく、日本社会全体の活性化にもつながるでしょう。

これはなかなか難しいことですが、企業を超えた若手の活発な交流ネットワークができれば、日本の大きな飛躍にもつながります。

明治維新は各藩を越えた交流によって実現したのですから。

企業間を横断するネットワークは、企業情報の守秘義務があり、制度的に難しい側面があるのは事実です。そのようなネットワークが形式だけでなく、実際の存在価値を持つためには、企業のあり方そのものの変革が必要で、そのためには長い時間が必要となることでしょうが、まず一歩を踏み出す価値はあるのではないでしょうか。

そのような第一歩となるような活動を、まず一つ紹介したいと思います。

三井不動産が立ち上げたLinkJという活動があります。

627の企業や団体が所属して、ライフサイエンス関係の活動を支援しているそうです。この組織の投資家や、各企業の幹部、エキスパートのアドバイスを受けて、成功したスタートアップ企業がすでにいくつも出ています。

この活動について、三井不動産の植田社長は、「おせっかいな大家さん」のような存在になりたいとおっしゃっていますが、公の創造におけるリーダーシップについて、これほど適切な表現はないでしょう。

また、企業間の交流というと、最近、興味深い動きが報道されました。

日立製作所とソニーグループが2014年から相互に社員の副業を受け入れるというのです。若手・中堅社員を相手先企業の人工知能(AI)や半導体などの先端部門に派遣するそうです。相互副業によって、従業員に自社が手掛けていない分野の仕事を経験する「他流試合」をこなしてもらい技能や視野を広げてもらうということです。

人材交流を目的とする他社への出向と比べると、副業は本業を継続できる点が異なります。従来の出向では、異なった分野を同時に経験することができませんが、この方法ならば、同時並行で異なった世界を経験し、視野・視点を大きく広げることができるとともに、両者が閉じた公に陥ることも防いでくれるでしょう。また、日本人のトータルな公の感性があれば、参加者は出先の企業も自分の生きる場として認識できるでしょうから、将来的には一企業の枠を超えた、新しい企業活動の創造につながる可能性も出てくるでしょう。

それぞれの企業活動に関する守秘義務をどうするかなど難しい問題もあったとききますが、それを乗り越えての活動ですから、期待したいと思います。

次に紹介したいのは、台東デザイナーズビレッジという台東区が設立に関わった組織です。

 自分では店舗を持てなかったり、販売路の開拓に慣れていない若手のデザイナーさんをサポートするために作られたそうです。ここに入居したデザイナーさんは所長さんの指導を受けながら、独り立ちを目指すのですが、ネットで製品のアピールをする時に、製品の製造工程はもちろん、自分の人柄やどのような生活をしているか、までアピールするそうです。これにより、単なる共感だけでなく、製品の利便性などを超えた問題意識の共有が生まれるのではないでしょうか。これも、一つの公の形だと思います。このような方法が若者の共感を呼び、いままで100人以上が独り立ちして、自らの店舗を持ったり、会社を立ち上げたりして卒業したそうです。また、彼らの多くは台東区内に店を構え、地元の職人さんとのネットワークを築き上げ、関連したカフェなども開業して、大きな存在感を持つようになっています。

自分の人柄や生活をアピールすることで、製品だけを介していては得られない信頼関係ができているのではないでしょうか。

このような動きは、日本的なトータルな公の感性がもたらしたものではないでしょうか。西欧的な利害の共通する部分だけの公からはこういう動きはなかなか出てこないと思います。製品を超えた人柄や生活まで含むトータルな情報が共有されることで、豊かな、人が生きる場が形成されているのでしょう。日本的な公が生んだ感性が生きづいている一つの例だと思うのですがいかがでしょうか。

次にご紹介するのは株式会社「かささぎ」です。

日本全国から選りすぐった伝統工芸品を取り揃えるオンラインショップですが、創業者自らが全ての工房を巡り、現地で職人さんと膝を突き合わせて話し、現場の物づくりを肌で感じ、納得した商品を産地から直接仕入れているそうなのですが、面白いのは創業者の塚原龍雲さんの経歴です。塚原龍雲さんは20代の若者ですが、2020年に伝統工芸品のプロデュースやECサイトを運営する「かささぎ」を起業。1,000軒以上の工房を訪問し、職人と関係を構築して事業を拡大してきたのですが、「伝統工芸を商売に利用している」という悩みから2年前にインドで出家してインド仏教僧となったのです。現在も僧侶の袈裟姿で仕事をすることが多いそうです。単に売るのではなく、新しい視点で伝統工芸の職人さんに提案を行い、伝統工芸を新たな分野へ高める試みも行っているそうです。異分野を結びつける創造的なリーダーシップと言えるでしょう。

「カササギ」は織姫と彦星の橋渡しをする役目の鳥で、職人とユーザーの橋渡し役になりたいとの思いが込められているということです

次に、問題意識を共有することで、公を創造し、問題を解決しようとしているスタートアップ企業の一つ、デガスをご紹介したいと思います。

デガスというのは、アフリカのガーナで牧浦さんという方が立ち上げたスタートアップ企業で、農家の生産力向上を支援しています。

具体的な活動内容は、農家に農業機械や肥料、種子を現物で供給し、収穫期に農作物の現物で、その支払いをしてもらい、納められた農産物を食品会社に売って利益を得ています。供給も支払いも現物にしているところがこの仕組みをうまく回らせているようです。

 この企業の面白いところは、農家の生産力向上だけではなく、もう一つの問題意識に同時にコミットしていることです。それは、二酸化炭素の削減です。この二つのあまり関係なさそうな、あるいは相反するように見える問題にどのように整合性を成立させているのでしょうか。

 さきほど、肥料を支給していると言いましたが、実は肥料は製造時に二酸化炭素を排出しているのです。そこで、少ない肥料で収穫をあげるために二つの試みがなされています。一つはトウモロコシを栽培しているのですが、収穫後に茎や葉をそのまま放置せず、土に踏み込んで土壌を豊かにし、また作物の間に土壌を健全に保つ「パラパラ豆」を作るよう農家に指導しているのです。このように二酸化炭素の削減を目指す農業を、リジェネラティブ農業、というのですが、このような取り組みをアピールするために、すべてのトウモロコシの袋にQRコードのタグをつけて、栽培過程がわかるようにもしているそうです。リジェネラティブ農業の作物は、10〜20パーセント高く買う食品メーカーがでてきているからです。また、CO2削減量をカーボンクレジットとして販売し、農家に還元することも考えているそうです。

 このように幅広い問題意識にコミットしているために、味の素、JT、三菱UFJ銀行とデガスにより、気候問題と途上国の所得向上をめざすJAHQCC(ジャック)という企業連合が誕生しました。異なった問題意識が結びつくことで、より大きな公が生まれた一つの例ではないでしょうか。

 牧浦さんは若い頃ルワンダに滞在していたことがあり、その時、アフリカの農民の生活向上をはかろうという決意をしたそうです。明確な問題意識をもった企業は社会に絆を作り出し、有益な公を創造できるのです。また、明確な問題意識をもち、その解決を目指す企業は、必然的にその活動も良心的になるようです。

現代の公は、かってのように国全体が一つの公を共有するよりは、小さな、かつ多様な公が多数存在して、かつそれらが結びついていくというのが理想ではないでしょうか。

 小さな公を結びつけるという活動を一つご紹介したいと思います。

それが、talikiです。社会問題を解決しようとする企業相手に特化したファンドですが、その問題を解決することで利益を得る相手を巻き込むという手法が特色です。複数の問題意識や公をリンクさせる手段として非常に有効なようです。

talikiのホームページでは、「誰もが生まれてきてよかったと思う世界へ。今日泣いている誰かが、明日、生まれてきてよかった、と思えるような社会であってほしい。社会課題がいつでも解決するような仕組みづくりを目指し、事業開発・投資・販路拡大等のサポートを行なっています。」とうたっています。社会課題を解決する起業家のwebメディア「たりき.org」を運営し、そのような活動を行う人々を結びつけようとする活動も注目すべきでしょう。

問題解決が、まず第一にあり、それを成り立たせるために、採算という発想があるというのが、「新しい資本主義」のあり方ではないでしょうか。問題解決が第一にあれば、そこには必然的に公が創造されると思います。talikiは、これからの企業のあり方の一つの形と言えるでしょう。企業活動の目的が、株主の利益の最大化などということは、これからの企業のあり方としてはどうなのでしょうか。皆さんはどうお考えになりますか。

 かなり前の話になりますが、セブン&アイ・ホールディングスの株主総会で、いわゆる物言う株主であるアメリカの投資会社と会社側が激しい論争を繰り広げたことがありました。アメリカの投資会社はイトーヨーカドーを切り捨てて、収益の良いセブンイレブンに集中しろと主張したそうです。このような発想は利害の共通する部分のみの公から出てくると言えるのではないでしょうか。日本的なトータルな公、それが人が生きる場であるという考え方からすると、社会インフラの一つとさえいえるイトーヨーカドーをセブンイレブンの利益で維持しているのは、むしろ企業の社会的使命をはたしていると評価されるべきものだと思います。もちろん、イトーヨーカドーの収益を改善しなくても良いというわけではありませんが。

ここまでの例の多くは、問題解決のために創業した例ですが、一方で、既存の企業の場合、現在の自社の方向性が、どのような問題の解決に向いているかという発想を持って、自社の技術やノウハウ、製品を社会問題の解決にうまくリンクできれば、自然により大きな公を創造したり、あるいは複数の公をリンクさせたりして、会社の存在意義を大きく向上させることができます。

 ここで、ご紹介するのは富士フイルムが自社で開発したポータブルX線撮影装置、「カルネオ エックスエアー」を通して、結核の撲滅という健康保健上の世界的課題に大きく貢献するにいたった経緯です。

この装置は重量僅か3.5キログラムで、省電力であり、ソーラーパネルを電源にすれば、1日300枚の撮影が可能だそうです。長年培ってきた画像処理技術を用いた胸部X線画像分析システム、「アイカッド」は、GPUを搭載したポータブルデバイスで使用でき、ノートPCでも画像診断ができるというものでした。開発当初は、国内での使用を想定していたようですが、国内ではどこにでもレントゲンはあり、それほど大きな需要は見込めないということになったのです。

そこで、白羽の矢を立てたのが、発展途上国での結核撲滅でした。担当の守田さんは、文字通り装置を抱えて、炭坑から砂漠、森林の奥まで世界を飛び回り、実証実験の形で様々な国で装置を使ってもらい、実績と信頼を積み重ねていったのです。その活動は結核撲滅に取り組む組織「ストップ結核パートナーシップ」の代表をはじめ、国内外のキーマンに認められ、医師不足の地域では医師の診断前にAIソフトウェアを使用した画像診断をしてよいというルールや、屋外でのX線機器の使用を許可するガイドラインが、WHOやIAEAによって整備されるまでになりました。ユノップスが発行する、新興国のNPOが入札無しで購入できる機器を紹介するカタログに掲載され、パキスタンでは鉱山で働く労働者が現場近くの屋外でレントゲン撮影をしたり、トヨタのランドクルーザーに搭載するキットの開発なども進められているそうです。

 自社の製品が、社会に存在するどのような問題意識に合致し、その解決に貢献できるかという発想をもったことで、多くの国際組織や国々と問題意識を共有する公の創造が可能となったわけです。

 

最後に、中堅リーダー中心として、1つの企業を越えて公を共有するような企業活動への動き、それをはっきり意識して実践している企業活動をご紹介したいと思います。やはり、現場での動きは、研究室で抽象的な思考をもてあそんでいるより、はるかに速いようです。稲盛和夫さんが、「現場は宝の山」と言ったのも、なんとなく納得です。

それが富士通株式会社がおこなっている「フジハック」という活動です。富士通は、いわゆる大企業病を克服するためにいくつもの先進的取り組みを行っていますが、その1つです。

それはどのような活動なのでしょうか。ホームページなどを参考にまとめてみました。

「フジハック」とは、大企業の多業種・多職種の人材が集まり、日本を代表する複数の大企業が制作実行委員会に名を連ねていて、社会やビジネスの課題解決に向けてアイデアを生み出すイベントです。テーマの例をあげると、「共創で描く未来のまちづくりワークショップ~大阪京橋・森之宮エリアをケースとした地域活性化を考える~」というのがあり、これは地域課題の解決にフォーカスしたテーマですね。。

元々、社内の若手SEが主体となるハッカソンとして2014年にスタートしました。

「ハッカソン」とは、エンジニアやデザイナーなどがチームを組み、短期間で集中的にソフトウェア開発を行うイベントで、「ハック」と「マラソン」を組み合わせた造語です。決められたテーマに基づき、アイデアを出し合いながらプロトタイプを開発し、その成果を競い合う形式が多く、新サービス創出や技術力向上、人材育成などを目的として企業や大学などで開催されています。

当時は「ハッカソン」という手法自体が新鮮だったこと、またフジハックから生まれた事業の種が成長するケースもあり、社内イベントとしてしばらく続きました。

ところが、コロナ下でのオンライン開催を経て2022年に対面開催を再開した際、社外からの参加が増えたので、2023年に制作実行委員会形式へ移行し、20社以上が企画運営に参画するようになりました。2024年には63社173名が参加し、2025年には開催頻度を大幅に増やすなど、年々規模を拡大し続けているのです。

社外の参加者を受け入れるようになった背景ですが、「大きな事業の種をどう生むか」といった課題が顕在化したことをきっかけとして、打開策のヒントを得ようと、事業提案制度を運営する様々な企業にヒアリングしたところ、他社も同じような課題を抱えていることに気づき、それなら、企業間の緩やかなコンソーシアムを作り、事業開発の課題を共有して解決していく方法もあると考え、フジハックを社外に開放することになったそうです。

大企業は特に自社に閉じこもりがちなので、企業の垣根を超えた出会いを増やし、互いの知見を掛け合わせて新たな発見やアイデアを得られるようにすべきだと考え、さらに参加者だけでなく、企画運営も社外に開放するようになったんですね。

横並びのパートナー”になるには、一緒にイベントを作り上げる仕組みが不可欠で、富士通が単独で主導する限り、いつまで経っても“ベンダーとお客様”という関係を超えられないということで、共同で企画運営に取り組むようになりました。そうすると、互いの社内における取り組みも見えやすくなり、関係性もより一層深まると考えたわけです。

また、2025年から、開催頻度を増やしました。

年1回だと非日常の「お祭り」で終わってしまい、開催エリアも必然的に限定されます。事業開発の打席を増やすためにも、毎月どこかで当たり前のようにフジハックが開催されている世界観を実現しようと考えたそうです。

参加者の職種も、徐々に広がり、当初はエンジニアが主体でしたが、最近では生成AIを活用した開発が可能になったこともあり、営業やコーポレート部門など非エンジニア職種の割合が高くなっています。

社外からは、「こうした場は意外となかった」という評価をいただくことが多いということです。産官学の連携や、大企業とスタートアップのオープンイノベーションは一般的ですが、大企業同士の掛け合わせは珍しい、エンジニア特化型のハッカソンはあっても、職種を超えたイベントは少ないですし、自治体主催のフォーマルなアイデアソンなどはあっても、カジュアルに課題解決に取り組める場はなかったということでしょう。

大企業の多職種の方に気軽に参加してもらうために、「NDA(秘密保持契約)不要」という立て付けがなされています。NDAとは、(Non-Disclosure Agreement)の略で、日本語では秘密保持契約や機密保持契約と呼ばれ、自社の機密情報(技術、顧客情報、ノウハウなど)を相手方に開示する際、その情報の漏洩や目的外利用を禁止し、守秘義務を負わせるための法的な契約です。ビジネス取引や提携、共同開発などで情報共有が必要な場面で締結され、契約違反時には損害賠償請求や差止請求も可能になります。

他社の参加者からの感想としては、「生成AIを活用した新規事業開発の手法とネットワーク構築を目的に参加しました。企業ごとにアプローチが異なり、特に富士通さんの”社会課題を起点にする”姿勢は新鮮でした。今後はイベントで得た知見を社内に展開しつつ、ここで知り合った仲間にも相談していきたいです」

「自社だけでの新規事業開発に限界を感じ、他社のノウハウ取得のために参加しました。文化の異なるメンバーとの協業から多くを学び、特に富士通の”未来からバックキャスティングで事業を考える”アプローチは自社に不足していると実感しました。この手法を自社の事業創出に活かしたいです」などがあります。

最初からチームを作るのではなく、テーマを検討してからチームを組むという手法を採用したそうです。その結果、チームコミュニケーションツールのSlackを使って、各チームのコミュニケーションが盛り上がりました。自分でテーマとチームを選んだという当事者意識があったからでしょう。具体的な内容はどのようなものなのでしょうか。「生成AIを使いこなして、10年後のニッポンをデザインしよう」というテーマで行われた回を少しのぞいてみましょう。この時は、「まちの未来」「自然環境と経済の新たな関係性」「学びと文化の未来」「健康と福祉の新常識」の4つのサブテーマを設置されました。このテーマでどのように進行したか少しのぞいてみましょう。初日は集まった参加者の顔に期待と不安が入り混じる中、まず、現在を起点とした未来予測型ではなく、未来から現在を考える未来予報型思考についてインプットがあり、徐々に参加者の思考が広がっていきました。午後からのチーム活動ではテックアドバイザーやデザインアドバイザーの支援を受けながら、各々のテーマについて各チーム白熱した議論が展開されました。

例えば、各グループは「チームメンバーの共通関心領域を探り、問いを設定する」、「テーマに関する変化の予兆をPESTの観点で収集する」(PEST分析(ペストぶんせき)は、企業経営における外部環境(マクロ環境)を、政治、経済、社会、技術の4つの視点で分析するフレームワーク)、「10年後のNIPPONの未来シナリオを作成する」などのテーマを設定し、生成AIをフル活用して、アイデアの発散・収束フェーズにおいて普段考えつかない視点を獲得したり、効率的な情報収集に役立てたりしていました。

2日目には、チームでの議論が加速するなか、新規事業の専門家からフィードバックをもらうメンタリングの時間も設けられました。メンターからは「幕ノ内弁当のように、解決したい課題とアイデアを詰め込み過ぎている」との指摘をもらうチームもありましたが、各チーム、ピッチまでの限られた時間の中でブラッシュアップ。夕方のピッチとデモでは、生成AIを駆使して作成した発表資料やプロトタイプが披露されました。

例えば、2034年のNIPPONでは廃棄物は全てリサイクルされる世界になっているはずだという仮説を立て「ゼロ廃棄物オールリサイクル」を当たり前にするサービスを考えたチームは、GPTs(自然言語を入力するだけでオリジナルのチャットボットを作れるサービス)を使ってプロトタイプを作成しました。

廃棄物の写真を投稿するとどのように分別して生まれ変わらせることができるかをイメージ写真とともに出力してくれるWebアプリを作成し、「AIを活用すれば短時間でもここまでできる!」を表現していました。

フジハックと社外連携の取り組みについての今後の展望は次のようなものだそうです。

「最終的な目標は、大企業のイノベーション力を高めて日本全体を底上げすることです。自社での事業開発や他社との共創、それらはもちろん重要ですが、そもそも日本全体を良くしなければ富士通も成長できません。だからこそ、富士通が中心であるかどうかに関わらず、大企業のネットワーキングに貢献し、イノベーションの種が生まれる確率を少しでも高めたいと考えています。コミュニティー作りもその第一歩です。・・・カジュアルに事業開発に携わるかたも含めたコミュニティーを作り、互いの知見をもっと自由に掛け合わせられる場を作っていきたいです。」

そして、このフジハックを起点として、以下のようなステップを踏んで、大企業同士が共創による事業創出を当たり前とする社会を目指すとしています。

1 事業創出体験・多様な質のいいコミュニティー形成

2 事業アイデアブラッシュアップ・人材育成の相互支援

3 オープンイノベーション・PoC(「PoC」はプルーフ・オブ・コンセプト)の略で、「概念実証」と訳され、新しい技術やアイデアが技術的に実現可能か、期待通りの効果が得られるかを本格的な開発に入る前に小規模で検証するプロセスです。PoCの目的は、実現可能性の確認: 構想が技術的に実現できるか、想定通りの効果が出るかを確認すること、リスクの低減: 本開発前の問題点を早期に発見し、失敗リスクや手戻りコストを削減すること、投資判断の材料を経営層や出資者に与え、実現可能性と効果を具体的なデータで示し、次のステップへの進捗を判断する材料とするなどです。)

4 複数の大企業による共創、オープンイノベーションのモデルを実践活動の中で作る。

5 大企業同士の共創による新規事業創出があらゆるところで生まれる世界

という5段階をふんだプロセスによる、社会全体の発展がイメージされています。「共創の壁をどう乗り越えるか?」については、富士通のトランスフォーメーションの取り組み「フジトラ」の知見を社外に順次提供、たとえば、企業のパーパスを社員個人のパーパスに紐付けるフレームワーク「パーパスカービング」は、企業や自治体、教育機関などから高い評価を得ているので、このような社内の知見は閉じ込めておくのではなく、むしろ積極的に社外へ提供していくとのことです。「パーパスカービング」は非常に面白い取り組みなので、このあと、少し詳しく触れたいと思います。

企業横断型コミュニティーから事業が生まれる場合、企業間の調整といった課題については、数多くの企業との戦略的アライアンスを構築してきた富士通の知見を活用しつつ、最適な形を提案して企業同士のチャレンジを後押ししていきたいということです。

事業開発は、まず第一歩を踏み出すのが大変ですが、少しでも挑戦してみたい気持ちがあるのであれば、フジハックへ参加し、「自社だけで解決しなければ」という考えにとらわれず、社外の方と気軽に交わる体験をぜひしていただきたいとのことです。

今のところ、若手が中心のようですが、中堅社員や管理職、重役の方々も参加されると面白いのにというのは、まあ、野次馬根性ですよね。若手チーム対重役チームとかいう設定が出てくればわくわくするんですけどね。入場料払っても見に行きます。

ところで、富士通が取り組んでいる面白い試みがもう一つあります。それがパーパスカービングです。なぜ、これに注目するかというと、本講座で頻繁に取り上げている「公の創造」、と深く関係しているからです。

「公の創造」で大きな問題となるのが、個の目標と全体の目標の整合性をどう取るかでしょう。一昔前の滅私奉公のような個人を殺すような方法は受け入れられないでしょう。これに対する解答を示したのが、富士通が取り組んでいるパーパスカービングなのです。それはいったい、どのようなものなのでしょうか。

富士通広報のノートを参考にして、まとめてみました。

パーパスとは目的とか目標という意味ですよね。で、カービングは彫刻という意味なので、目標を彫刻して彫りだす、創り出すという意味でしょうか。

実際の内容は、個人のパーパスを言語化するための対話プログラムです。

ここでのパーパスとは存在意義・存在目的のことだとしています。

ちなみに、ノートの執筆者の方のパーパスは「世界の創造性のレベルを一つ上げる」、というもので、この言葉を日々の仕事や、生活する中での拠り所にしているそうです。

富士通社員一人ひとりが個人のパーパスを語るようになり、富士通社内では、パーパスで自己紹介するシーンをよく見かけるとのことです。

パーパスカービングという名称は「自分自身の中にあるパーパスを彫刻する(カービングする)」というコンセプトですが、対話プログラムは次の5ステップからなります。

①掘り起こす:パーパスの原石である自分自身の人生を振り返る、ライフリフレクション

②光をあてる:参加者同士の相互インタビューで新たな発想や気づきを得る

③彫りだす:個人のパーパスを言語化する

④持ち寄る:お互いが言葉にしたパーパスを持ち寄り鑑賞する

⑤磨き続ける:言葉にしたパーパスを元に行動し、パーパスと向き合う

メインとなる相互インタビューは、お互いの人生と大切にする価値観について聞いた後で、あらためて組織のパーパスと向き合い、最後に聞き手から話し手に対して「言葉のギフト」を贈る、という構成になっています。

自分についての振り返りを傾聴し合うことはもちろん、対話相手からの言葉によって新たな自分の一面を感じられる点が、参加者の体験価値向上につながっています。

組織のパーパスについては、富士通では「イノベーションによって社会に信頼をもたらし、世界をより持続可能にしていくこと」というパーパスが制定されています。

ところが、当初はパーパスという新しい概念に対する戸惑いが大きかったそうです。

そこで「自分のパーパス」を考えることで「パーパスという概念自体」に触れ、さらに自社のパーパスに対して理解を深めるという狙いをもってこのプログラムがデザインされたのです。

個人のパーパスは必ずしも会社のパーパスと一致するとは限りません。むしろ、それぞれ別の存在として違うことのほうが当たり前です。だからこそ、ほかの人や自社のパーパスとの接点を見出すことで、その合力、合成ベクトルを変革の原動力にする。

図にすると、このようになりますが、個人のパーパスと会社のパーパスは、違うからこそ、その合成ベクトルはより大きなものとなると考えて、両方のベクトルを無理に一致させるのではなく、違いを力に変えるというのは面白い発想ですね。

この講座では、問題意識の共有から公が創造されると考えているのですが、この発想によれば、問題意識が異なっていても、より大きな可能性を見いだせることになり、素晴らしい発想だと言えます。もちろん、数学のように計算すれば合成ベクトルが出てくるというわけにはいかないと思いますが、そういう発想を持てば、すぐにとはいかなくても、長い目で見れば大きく変わるのではないかと思います。

パーパスカービング単体では効果が薄れる可能性があるということで、人事部門としてパーパス実現のために刷新した人事制度「コネクト」の要素に「個人のパーパス」が組み込まれました。

「コネクト」では従来の目標管理評価制度を刷新し、富士通のパーパス、組織ビジョン、個人の成長ビジョンをすり合わせ、個人の行動や学びを総合的に評価します。

評価では、上司との丁寧なコミュニケーションとフィードバックを重視し、納得性を高めることを目指しています。この制度により、個人のパーパスが日々のコミュニケーションや人事制度に活かされ、持続的な効果が生み出されるというのです。。

パーパスがキャリア形成に活かされている例として、富士通は2020年からジョブ型人事制度に移行し、社員一人ひとりが自分のキャリアを自律的に築いていくことを目指しています。その仕組みを支える重要な要素として、社内公募制度「ポスティング」を大幅に拡大しました。

その結果、国内8万人いる社員のうち、2020年から4年間で2万7千人がポスティングに応募、1万人が合格して部署異動を果たしました。これは、社員が自身のパーパスを意識し、主体的にキャリアを選択しようとする動きが活発化していることを示す、重要な指標となっています。

このパーパスカービングは、現在、社外の他の組織にも提供されつつあります。

また、展開方法として経営層が自ら率先する「トップ・ファースト」というコンセプトが重要視されていて、まず、上司が自分のパーパスを語ることから始まるようです。

いかがでしたでしょうか。富士通がおこなっているフジハックとパーパスカービングという先進的取り組みは、それだけでも十二分に意義のある試みですが、今、お話ししたように、歴史的バックグラウンドを与えれば、その重要性はより際立ち、さらに裾野を広げていけるのではないでしょうか。富士通は、アメリカ、フォーチューン誌の2026年「世界で最も賞賛される企業」に8年連続で選出されました。社会的責任などで、高い評価を受けたそうです。

最後にちょっと面白い理論を一つご紹介したいと思います。

それは、米国の社会学者マーク・グラノヴェッターさんがとなえた「弱い紐帯の強み」という仮説です。彼によれば、新規性の高い、価値のある情報は、自分の家族や親友、職場の仲間といった社会的つながりが強い人々、強い紐帯よりも、知り合いの知り合い、ちょっとした知り合いなど社会的つながりが弱い人々、弱い紐帯から、もたらされる可能性が高いといいます。なぜなら、家族や業界人同士など自分と強いつながりを持つ人たちは、同じような環境、生活スタイル、価値観を持つ場合が多く、そのため、情報入手ルートも重なりがちです。そこから得られる情報は自分の手持ちの情報と同じか、たいして代わり映えしないことが少なくありません。一方、自分とのつながりが弱い相手は、自分と異なる環境や生活スタイル、価値観を持つため、自分が知り得ない、それゆえに新規性が高く、有益な情報をもたらしてくれる可能性が高いというわけです。異分野や異業種との交流の大事さをうまく説明していると思うのですが、いかがでしょうか。

今回は、日本的なトータルな公の発想や感性が生かされていると思われる企業活動をいくつかご紹介しました。西欧的な利害の共通する部分の公と、日本的なトータルな公では、スタート時点ではそれほど差はありませんが、後の広がりという点では、かなり違ってくるようです。企業の存在意義を、株主の利益の最大化、という点に持っていくのか、社会問題の解決を第一として、採算はそのためにあるとするのか、というような違いもでてくると思います。日本的な公の発想を基本とするならば、企業は社会問題の解決を目的としながらも、社員とその家族が人間らしく生きれる場でなければならないということが言えそうです。

経営学者の坂本光司さんは、1.社員とその家族、2.外注先・下請け企業の社員、3.顧客、4.地域社会、5.出資者・株主、この5者に対する使命と責任を果たすことが良い会社の条件だとしています。(坂本光司『日本で一番大切にしたい会社』あさ出版2008年)つまり、この5者を包摂する、あるいは共有される公を創造する必要があるということです。皆さんはどうお考えになりますか。

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